そんなこと無いって知ってるけど、「動画上手」って言われるとたまらなく嬉しい

以前に、エンタメ系メディアのライターをしていて、世界中のアートやエンタメ影像などメチャクチャ集めていたときがあった。そのクセは未だに抜けなくて、そのまま利用して別ブログのキセノンテンター(xenontenter.com)に活かしている。

そんな僕は、数々のものすごい作品を見てきて、「自分もやりたいな」と思い始めた。そして、なんとなく機材を集めて、なんとなく影像を作ってみて、なんとなくちゃんと調べてみたりして、「なんとなく」YouTubeにアップしていたりする。

この「なんとなく」ってのは、自分への言い訳。本気でやりたいんだけど、本気でやると比べられるって分かってるし、自分の実力が無いのも分かってるからそう言い聞かせている。

でも、ソレを見た人に「動画上手」って言われて、すごく嬉しく思ってしまう自分もいる。

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「なんとなく」から脱却せねば

今のスタンスはこうだ。「なんとなくつくったんすよ〜」みたいな感じ。テスト前の「俺勉強してねえわ」てきなアレ。実はちゃんと作っている。でも、どこかでしっかりと手を抜いて、「コレは本気じゃ無い」をやっている。

そうすることで、批判されても何も感じないようにするためにね。逃げを取っているのだ。

逃げを取る理由としては、実は深くあって、僕の身体に起因する。

僕の身体関連での失敗がものすごい多い。「もうちょっと身体が良かったら…」な事がメッチャある。そう考えてしまうと、「なんでこの身体に生まれたんだ」とかなりネガティブなことになる。ソレを深く掘ると、やはり「血」、血縁なのだ。(もうこれ以上は書かなくて良いよね?)

ってなことがあって、決して本気ではやれないし、やらない。

僕がポジティブを保つための言い訳と言うこと。

「動画上手」という言葉は本当に嬉しい

それでも時折「動画上手だね」なんて言われると、メチャクチャ嬉しい。
僕は知っている。僕の動画レベルは下の下で有ることを。僕は世界中の映像作品を見ている。言語も様々。英語圏はあたりまえで、アジアやヨーロッパなど無作為にスゴイ映像を見まくっているから。「なんかスゴイ影像無い?」なんて言われたら速攻いくつか提出できるぐらい僕は色々観てきている。

だからわかる。僕のレベルが低いことを。

それでも。

それでも、「上手」って言われたらめっちゃ嬉しい。自分の実力知っていて、「ソレのやり方」だけしらべて、「行動に移せてない」んだけども、そこを言われたら本当に嬉しい。

行動に移したいと思う

僕は、色々と調べていて、「情報として」だけどどうやったら「そういった影像」になるのかを知っている。ソレを行動にして、いくつかは「ノウハウ」や「知識」として理解しているし、ソレを影像に活かすことも出来る。

でも、まだ、一杯有るんだ。試したことが。影像として、表現できる方法を。

ソレをまだ行動に活かしてないのは、さっきのとおり、身体。ネックはこれだけ。

この「上手だね」って言葉で、僕はそのネックを無かったことにして、行動に移そうとする。失敗するまで行動する。行動しようと思う。「失敗してもイイから作ってみろよ」って自分に言い聞かせられるようになる。

「なんとなく」作ってる影像から「ちゃんと作りました」って言える影像をだせるようにね。

嬉しいけど、立ち止まる

嬉しい、嬉しいと自分を持ち上げ、失敗したとき、身体がダメになったとき、僕は本当にダメになる。僕の持病(難病SLE)は、精神にも影響を与える。落ち込むときは本気で落ち込むのだ。

「病は気から」という言葉を知っているだろうか?あれは一種の催眠術だ。気持ちが「ダメだ」になると、身体もダメになる。
僕は「そういう失敗」をしてきて、そのまま入院することがしばしばあった。普通の人には信じられないだろうが、その「ダメだー」ってなると、採血などの検査の結果から数値として完全に症状が悪化しているのだ。

つまり、やりたい気持ちMAXでも、失敗する、ダメだなーってなると、本当に色んな意味でダメになる。から。やれない。のだ。よ。

「失敗した」って判断するのは自分で、その判断基準が世界相手なんだけどね。アホヤンってわかるけど、わかるんだけどなー。

ってことで、行動に移すとしても、ちょっと重心を前に移すぐらいにします。「1歩進む」とかはまだ無理です。ってのをあと何十年か続けるんだけどね。

誰か手伝ってくれる人が居たら、誰か一緒に作ってくれる人が居たら、きっとソレも楽なんだろうなー。

希望として

こういう感じの、何か流れが有る物を…撮りたい…。希望として…。