正直、その現象を体験して、「えぇ…」ってなった。
ボクはいつからか、ブログで「自分の書きたいこと」を書いてないなって思いました。それを思ったのは、とある別ブログでの出来事。最近、「書きたい人が集まる」場所があって、そこで本当に雑な駄文を書いた。「まとめよう」とか「ちゃんと書こう」とか一切思わず、気持ちをぶつけた記事。
それが、なんかしらんが、いろんな人に見てもらって、いろんな感想もらって。嬉しかった。
同時に、「なんでボクのブログでは読まれないんだろう。」とも考えた。
答えは簡単だった。
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自分の書きたいことを書いてなかったからだ
問題となっている記事はコチラ。「書きたい人が書く場所」として作られた「diary diary」に書いた記事。その場所では、おのおのが好きなように自由に物事を書く場所。いちいちだらだら書かなくても、「今日はこんなことがあった 楽しかった」ぐらいのどんな短いモノでも良くて、「あ、いいな、書きたいな」から参加することにした。
そこで書いたのが、ボクがオフラインで思っていること、ブログではそんなに強く書いてないことをぶつけた。
『「フォトグラファーズハイ」は存在する』として、難病持ちでめっちゃ身体痛くても写真撮ったらマジで気持ちいいぞ、嬉しいぞってのを書き殴った。内容が個人的に「ネガティブ」と感じてこっちのブログではたまにしか書かない事。
それが、読んでもらえた。感想をもらった。
写真は楽しい、が伝わった
ボクの置かれている状況は、身体的にひどく制限だらけの世界。日光あんまり当たれないとか大腿骨が壊死していってて結構歩けないとか。
そんなボクでも写真は楽しみたい。その気持ちが伝わって嬉しかった。
いくつかご紹介させていただきます。
グッとこみ上げてきた。写真は人の心を、身体を動かせるんだ。 / 「フォトグラファーズハイ」は存在する – diary diary https://t.co/yMI69hExvf
— abc (@dabcphoto) March 30, 2018
感動した。 https://t.co/G1vIg3C0fS
— キダヨウヘイ/コーヒーと写真と動画 (@allsync_jp) March 30, 2018
あぁなんだよめちゃくちゃいいなあ。写真撮る人も撮らない人もみんな読んで欲しい。ほんとに良いから。
「フォトグラファーズハイ」は存在する - diary diary https://t.co/NZ8fq0udob
— しむ(コトバコ) (@46sym) March 30, 2018
心を動かすブログって、こういうことを言うんだなってすごく。
言葉も。写真も。
「フォトグラファーズハイ」は存在する - diary diary https://t.co/2xUpZqsM7i
— ryo/ステアシ (@ryo_suteasi) March 30, 2018
今日これたくさん読まれてて嬉しい。本当にグッとくる記事だから夜もシェア/「フォトグラファーズハイ」は存在する https://t.co/MIjZPEvFzu
— ひげこい (@45house_hige) March 30, 2018
「グッとくる」とか「涙でた」とかそういうコメントが多かったです。そして、ボクがこのメディアに入るきっかけになったひげこいさんが「今日これたくさん読まれてて嬉しい。」と、ボクという他人の記事を読んでもらえることが嬉しいと言ってくれた。
なにそれ、嬉しいわ。
こういう感じで、バズった(シェアされた)事無かったので、スゴイ驚いている。
なんでバズったんだろう…ってね
こういう形でシェアされたこと無く、こういった感想言われたことも無く、すごく疑問だった。だって、こっちのブログで書いてあるようなことをアッチでも書いたから。ただ、やっぱり違うのは、雑さのおかげで自分が出ているところなのかなと。
ボクはいつからか、「ボクという自分」をこのブログで出してなかったかも。
コーヒーブロガーのAllsyncさんにも「喫茶店さんのパッション系が好き」と言われたことが有る。このブログは、いつのまにか自を出し切れなくなってたんだなと。あの記事は自を出せてたんだなと。だから読まれて、刺さったんだなと。
そして、「バズりたい」わけじゃなくて、誰かの心に刺さる記事が書きたかったんだと再認識した。その気持ち、再燃。
今書いているこの記事も、自が出てないと自負している。次の記事から、出せたら良いなと思う。この記事はその宣言だ。
書くぜ、取り戻すぜ。