今日はウィレム・デフォー主演の『インサイド』を取り上げる。観終わってまず残るのは静かな不安だ。少し時間がたつと、部屋に散らばる痕跡の一つひとつに意味が出てくる。僕の読みは「最後に彼は上へ行けなかった」。登り切る直前に触れた“白さ”は、救いではなく意識の白に近い。
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作品概要
原題は Inside。2023年公開、上映時間は105分。監督はギリシャ出身のヴァシリス・カツーピス、脚本はベン・ホプキンス。主演はウィレム・デフォーで、実質的にワンキャスト・ワンロケーションの設計だ。
舞台は美術品で満たされたニューヨーク高層のペントハウス。豪奢な空間と無機質な制御(セキュリティ、照明、空調)が物語の推進力になり、部屋そのものが“もう一人の登場人物”として機能する。
カツーピスはドキュメンタリー畑の経験があり、対象を観察し続ける視線がこの作品の骨格を作っている。
日本では劇場よりも配信(HuluとかNetflix)で触れやすい時期が続き、視聴手段は片方では有料、もう片方では無料みたいな感じになっている。時期によって変わるみたいだ。
「インサイド」のあらすじ(ネタバレなし)
美術品を狙う男ネモは、短時間の離脱を前提に高級ペントハウスへ侵入する。ところがセキュリティが作動し、出入口はロック、通信は遮断。豪華な部屋はたちまち“完璧な箱”に変わる。
食料は限られ、水はあてにならず、空調と照明は気まぐれに体力を削る。生き延びるため、ネモは室内のあらゆるものを道具へと作り替えていく。
高価なオブジェは分解されて足場になり、家具は積み木になり、配管やコードは命綱に変わる。やがて彼の視線は分厚い天窓へ向かい、届かない高さを埋めるために残骸の塔を積み上げる。
飢えと渇きで睡眠は崩れ、現実と内側の境界は薄くなる。塔が天窓に届きそうになったとき、決定的瞬間は画面から切り取られ、部屋に残るのはネモの痕跡だけだ。
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感想
この映画の核は「生存の手順」と「痕跡の蓄積」だ。水の確保、温度のやりくり、明かりの調整といった最低限の行動が、アートで満ちた空間で一つずつ検証される。
壁に増えるメモや線、床に散る部材の配置は、やがて生存の記録を超えてインスタレーションのように見えてくる。壊すことが作ることへ反転し、所有物が生存装置へと意味を変える過程が面白い。
デフォーの演技は台詞より先に身体が語る。歩幅は日に日に崩れ、声は擦れ、手の肌理は荒れていくが、塔を組む所作だけは職人のように繊細だ。カメラは広角寄りで空間の把握を促し、固定と移動の切り替えが距離感を管理する。音は抑制され、環境音が緊張を保つ。説明は少なく、結末は開かれたままだ。
はっきりした答えを求める人には物足りない一方で、余白が観客の解釈を支え、見終わったあとに痕跡を頭の中で並べ替える作業を促す。
僕は未到達と読むが、塔の構造と身体運用の現実性から成功解釈も成立する。
どちらにせよ、最後に残るのは“痕跡の意味”だ。派手さはないが、ワンシチュエーションとデフォーの持久力ある演技だけで引っ張り切る力がある。静かな密室サバイバルや美術セットの使い方が好きなら、十分に観る価値がある。